40代男性。過度の心身疲労やマイナス思考が原因でうつ病を発症。病気になったことで自分の人生を見直すことができた。

ニックネーム;ya-non
年齢:40歳
性別:男性
お住まい:宮城県

マイナス思考がどんどん自分を追い込みうつ病を発症。引きこもるようになった

私は新卒で某地方スーパーマーケットに就職しました。半年の研修ののち、その会社のなかでは当時最大の売上高をたたきだしていた繁盛店舗の青果部門に配属されました。

毎日朝六時半に出勤し深夜12時まで部門の様々な業務に携わり、新人ながらも店舗の店長や上司も同じように一生懸命サービス残業をして働いていることもあり「会社のために頑張ろう」という気持ちで、これが当たり前なんだろうと思いんがら日々を送っていました。

配属になってから2年くらい経過したころ、ふとした不注意から出勤中交通事故をおこしてしまいました。幸い双方に重い怪我はなく、自動車保険により数百万円といわれた相手側への補償もまかなわれ、運転免許証もぎりぎり免許停止にはならず、すぐに仕事へ戻ることができました。

しかしながら、じょじょに首あたりに違和感を感じるようになり病院で診察を受けると「ムチウチ」とのこと。

2週間の安静と診断され、診断書を会社の店長や上司に提出の上休暇をいただきました。就職後初めての長期休養。最初は一日でも早く復帰せねばと焦っていました。

しかしながら一日二日と時間が経過するにつれ、首をかばいながら街中を散歩(医師から体力維持のため軽い散歩を薦められていました)していると、あんまりにも人々が幸せそうにしているのに驚愕したのです。

そして、朝から晩まで店のために必死で稼いでいる自分が何だか空しく取るに足らない存在なのではないかと思うようになりました。 日課の散歩も、外で知り合いに出会ったとき、平日なのに仕事をしていない理由など尋ねられたら面倒と思い、自宅に引きこもるようになりました。

すべてがマイナス思考になりました。あっという間に二週間が経過しましたが通院も出社もしなければならないという意識はあるのですが何故か身体が言うことを聞かず、ガンガン会社から携帯電話に着信がはいっていくのも怖くなり、電源を落としました。

けがをして以降、会社から自分の身を案じる連絡は一本も入っていませんでした。情けないですが、それも「俺などいなくたって店はまわる。俺などとるにたらない存在だったのだ。今更かけてくるなんてありえない。」とマイナス思考に陥る原因になったと思います。

うつ病と診断され休職へ。親兄弟の協力を得て休職扱いに。

私はもともと会社から近いアパートに暮らしていたのですが、ケガを機に実家へ一時帰宅しました。私の様子が日々おかしくなっているのを両親はさすがに気付き、半ば強制的に、車で一時間くらいかかる、とある心療内科へ連れていかれました。

頭部MRI診断、医師の問診をへて下ったのが「抑うつ状態」という結果でした。医師の勧めにより、とりあえず処方された数種の薬剤を飲みながら経過を観察するという流れに決まりました。

勤務先の件は、自分で連絡する気持ちと、罵倒されることへの恐怖。

職場から逃げている自分という存在に対する恥ずかしさなどから断念せざるを得ず、やむをえず親兄弟の協力を得て休職扱いにしてもらえることとなりました。

毎日引きこもり、やる気も食欲も性欲もなくなった。誰も信用できなくなった

医師の診断結果を聞いても、そのとき私は世の中の誰の言葉も信用しなくなっていましたので自分がうつ病であるという現実を受け入れられませんでした。

投薬治療を開始してから半月ぐらいは何の変化もなく引きこもりの毎日でした。本当になにもやる気が起きず、食欲も性欲もなにも無くなりました。

ベッドに朝から晩まで潜り込んで暮らしました。人間関係として家族などごく一部の人間しか接点がありませんでしたたから、徐々に自分が世の中から忘れ去られていく存在になったのだという諦めはありました。おそらく当時私を知る人のなかでは、うつ病という情報ははいっていなかったので突然私からの連絡も絶たれた理由は理解できなかったのではないかと思います。

日光を取り入れること、家族と意識的に食事を摂ることを実践。

まずは医師の治療である薬剤投与なのではないかと思います。一か月ほど経過してから、うっすらとですが心境の変化がありました。

カーテンを閉め切りにしていたのが自分の意志で日光を室内にいれ、窓を開けて外の空気をとりいれるようになりました。

次いで朝昼晩と部屋食でしかも半分以上残していたのが三食とも家族と摂るようになりました。少々の散歩もできるようになりました。

まだ他人の目が怖くて夜中であるいていましたが。医師によると、症状が改善しているとのことで、そのとき無性にうれしさがこみ上げ、心から医師の言うところの「こころの充電がきれている状態なので無理せずにね」という言葉を受け入れることができるようになりました。

なお治療費は健康保険がききましたので薬剤込みで初診は五千円くらい。その後も三千円はかかりませんでした。

治療に向き合うことで食欲も戻り外に出ようと意欲が湧いてきた

医師の治療に向き合い、投薬を継続し、三食ちゃんと食べ、家族と接し、外との接触を保とうとする意欲がわいてきてからは、じょじょにベッドから起き上がってパソコンでインターネット検索をしたり読書したり、自分の思いを日記として文章に残すことをしはじめました。

 

放り投げていたムチウチの治療も再開するようになりました。それまでは、首の痛みは続いていたのですが、自分などどうでもよいと思っていたのです。すでに労災の規約である一か月に一度は通院するということは断念していたので実費負担でした。

 

友人に連絡をとり、県外をドライブに連れて行ってもらったりも出来るようになりました。なかなか自分がうつ病であるとは告白できませんでしたが・・・。

うつ病になったことで自分自身と向き合うきっかけとなった。自己責任を全うしたいと願うようになった。

まず、自分と会社、社会とのつながりを改めて考えだすようになりました。そして、大学を出るまでの自分の人生がいかに順調すぎたものであったかを思い知らされました。

「俺はどう生きたいんだろうか。」と、おそらく初めて真剣に考えるようになったと思います。

会社という存在が自分で勝手に生活の人生のすべてである。

 

店長も上司もみんな一丸でがんばらねばならない。サービス残業をしてでも、会社のために一円でも多く売り上げを残さねばならない。という先入観と観念が、いかに独りよがりで自主性が全く無いものであったか、と考えるようになりました。

そして、自分による自分のための人生を自己責任で全うしたいと願うようになりました。

家族が自分の状態を見て一步引いてくれたことがありがたかった。

私が自主的に身の回りの衣食住を求めるようになり、何事かを考えている姿を家族は好ましく見ていたと思います。直接尋ねたことはないのであくまで憶測です。

ただ実感したのは私が出来るようになってきたこと。例えば冷蔵庫の食材で料理し、後始末と食器洗浄、収納といった一連の動作を手伝おうとしなくなった事です。

 

それが大変ありがたかったです。症状が改善してきた(であろう時期の)私は、家族といえども自分がしている事柄に対して指図されることを最大に嫌うようになっていました。

病気になる前は、なんでも両親のいいなり。先生の言いなり。店長や上司の指示のまま、深く考えずに毎日を送っていましたからその反動だったのではないかと今は思います。

まず自分が病気なんだという事実を受け入れる事で未来が拓ける

私の場合、たまたま医師、両親、兄弟のサポートと会社の理解のおかげで何とか社会復帰することに成功しました。本当にたまたまだと感じています。

しかしながら誰にでも起こりえる心境の変化。たとえば自分のために人生を生きていくことへの再認識。指示待ち人間が自主的人間に変身できるかもしれないという「生き方の転換点」としてプラス思考で生活していくきっかけとなりました。

あくまでも自分だけの感覚ではありますが。

うつ病と、まず自分が病気なんだという事実を受け入れる事。

他人の善意に甘えること。医師の治療を受ける事。そして、いままでの自分が歩んできた生き方をふりかえり、本心からその道を進んでよいものか、それとも方向転換すべきか考えなおす転機なんだと思うことにつきると思います。無理せず自然体の自分を探していきましょう!!