ニックネーム:H.T
年齢:33歳
性別:女性
お住まい:静岡県
90日間連続で勤務など働きすぎによりうつ病を発症。
あまりよく覚えていませんが、23歳の新卒2年目の頃だったと思います。
当時ついていたのは介護職、老人ホーム。
元から過酷な勤務と言われている仕事ですが、その当時はとにかく人手が不足しており、90日間休日なしの連続勤務、月10回の夜勤(2交代制)という悲惨な状況でした。
気付いたら頭痛が治らない、めまいがする。
明日も仕事だっていうのに、ごはん食べなきゃ食事が喉を通らない。眠らなきゃ体力持たないのに、いつまでたっても眠れない。
そんなはじまりだったかとおもいます。
連続勤務が1か月を超えた頃、実家の母が交通事故にあったとの電話がありました。
シフト表の上では休日となっていたので、さすがにここは休ませてもらおう、お見舞いに行こう、と上司にかけあいましたが
「社会人としてそれは無責任」と言われてしまいました。
休日なのにおかしいとは思っていましたが、新卒2年目の平社員は納得するしかありませんでした。
いろんな感覚が麻痺していました。
食べたくないから食べなければいい、眠れないから寝なければいい。
その分働けばいい。
働いて死ぬなら本望だ。
当たり前のことがわからなくなったのははじまりだったのか、もう鬱の沼にとらわれていたのか、今でもよくわかりません。
月に1万ほどの治療費がかかった。ためたお金が薬のために消えていくことが辛かった。
24歳での発症で、25歳から通院を開始しました。
数年前までは悪化と回復を交互に繰り返していたと思います。
少し回復して「そろそろ仕事探さなきゃ」と思って働き出すも、まだ出来ない自分にぶつかって落ち込んでしまう。
そんなことを何度も何度も繰り返し、自暴自棄になることもありました。
心療内科に月2回の受診で、1回あたり5000円弱。
月に10000円は医療費で使う生活でした。
無職生活の中でこの医療費の捻出というのが非常に厄介で、お金の不安はすぐに気持ちの不安につながりました。
多少の貯金があったとはいえ、夢と目標を持って貯めていた貯金が薬に消えていくのも辛かったです。
かといって2年3年と服薬を継続していると、薬を断つこと=再発・悪化につながるんじゃないかという不安から、断薬もできませんでした。
人からどう思われているのかという恐怖からどんどん自分が固くなっていった。
周りの友人からは「声が小さい」「いつも下を向いている」「言葉と言葉の間が長い」「目が怯えている」と言っていました。
自覚はありませんでしたが、私自身何かを恐れていたように思います。
多分恐れていたのは人への恐怖。
それは信頼のおける友人でも家族に対しても、「失敗したら怒られる」「がんばらなきゃいけない」と怯えていました。
もうひとつ、怯えていたのは希死念慮でした。
自殺はしないと約束しても、突然襲ってくるそれはまるで死神のようで。
酷い時期を脱してからも恐れていた記憶があります。
後に聞いた話だと、一番近くに居た母いわく「酷い時期の1年くらい、いっさい笑わなかった」と。
テレビに向かって「ハハハ」と笑い声は聞こえるのだけれど、目がちっとも笑っていない。
笑顔を作っているんだろうけれども張り付いたような笑顔だ、と。
アルバイトしたことがきっかけで生活が安定し眠れるようになった。
「日の光を浴びること」が一番です。
明るいお日様の下で暗いことは考えにくいでしょう。
日の光を浴びて、外の空気を吸って、土仕事をして、日が暮れたら横になる。
当たりまえの自然の生活をすることで、生きる力を取り戻していく。
幸いにも田舎の田畑の多い環境だったので、父の口利きで農作業アルバイトをさせてもらいました。
まず体がつかれるので夜熟睡できるようになり、お腹もすくのでよく食べるようになり。
おじいさんおばあさんの相手をするので自然と声も大きくなり。
体の回復を待ってから、少しずつ気持ちも上向きになってきました。
ずっと夜勤や変則勤務の仕事だったので、昼働いて夜眠る生活がこれほどに幸せなことなのかと当時は驚きました。
いいも悪いも含めてすべて自分、と思えるようになった。
「苦手なことは苦手でいい。辛い時は辛いって言っていい」
そう思えたことが一番の変化かもしれません。
仕事も感情も過剰に背負いこんで、倒れ込んだ私はきっと誰かに助けてほしかったんだと思います。
しんどいよ、つらいよ、疲れたよ、って口に出せるようになりました。
同じように、嬉しいこと、楽しいこと、面白いこと。
これもきちんと表現できるように。
もちろんTPOはわきまえるようにはしていますが、自分の気持ちを表現することがこんなにも生きることを楽にしてくれるとは、と驚きました。
小学生でもわかることなのにいい歳したおばちゃんがおかしいなとも思いますが、今ではそれを含めて自分だと思っています。
良いも悪いも全部含めて自分、そう思えることが改善の一歩でした。
明るくなったと気づいてもらった。目を見て話せるようになった。
「表情が明るくなった」
「声に張りが出た」
「久しぶりに笑っている」
と外見の指摘からでしたが、純粋に嬉しかったです。
たかだか表情、たかだか声ですが、自分ではどうしようもできなかったのが鬱病でした。
「人生って楽しいな」と思い始めると、不思議なもので顔も明るくなる。
顔が明るくなると心も明るくなる。
単純なことだけれど、そういうことだったのかなと思っています。
「目を見て話せるようになったね」
と言われたのは印象的でした。
改善の兆しを見せ始めたのは闘病開始から5年くらい経った頃でしたが、そのころに久しぶりに家族・友人の顔を見た気がします。
それまでは家族・友人の中に自分を見て、勝手に落ち込んだりしていたのでしょう。
うつ病の治療は焦ってはダメ。いつか必ずトンネルは見つかる。
出口の見えないトンネルで辛い思いをしていると思います。
きっと何か、あなたにあった方法があるはずです。
だから諦めないで、探してください。
焦ってはだめです。
少しのんびりかなっていうペースの方がいいんだと思います。
必ず道は開けます。
信じてくれる人がいるはずです。
その人に相談してみてもいい。
子どもの頃のことを思い出してみてもいい。
懐かしい場所に行ってみてもいい。
ずっとやりたかったことをやってみてもいい。
海や山や街に行ってみてもいい。
本を読んでみてもいい。
「ああ生きるのってこんなに楽しい」
と思える瞬間を大切にしてみると、きっと自分に会った方法がみつかると思います。
いつか必ずトンネルの出口は見つかります。
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