ニックネーム:ゆーゆー
年齢:31歳
性別:女
お住い:東京都
過度の仕事のやりすぎにより心身ともに疲れ果てうつ病を発症
私は昔からずっといろいろな人から「まじめすぎる」と言われてきました。
あまり周りに頼ることも得意ではなく、自分の仕事を誰かに振ることはせず、他と残業をして帰りが遅くなろうがやりきっていました。公務員であった関係上「働かなくても給料は保証されているし、クビになることもない」という考えの人が多く、窓口対応もせず、仕事が残っていても時間通りに帰るような人たちばかりでした。
そんな状況が許せず「誰もしないなら私が全部する」という考えだったために、自分の仕事をしながら他の人の仕事もしていました。
そして、そんな生活で心身ともに疲れてしまい、ある日朝起きられなくなり、気持ちが悪くなり、精神的に壊れ「うつ病」と診断されました。
正常な状態ならまず買わないものでも歯止めが聞かず買ってしまった。総額で150万以上を使用
うつ病を発症してからは仕事どころの状況ではなくなったので長期休暇に入りました。職場に診断書を提出すると、有給での長期休暇が認められましたので、休んでいる間も給料はもらっていました。
定期的に病院に行っては薬をもらっていましたし、そうでないときは基本的に家に引きこもり、通販でありとあらゆるものを買うことによって自分を保っていました。
そこまで欲しくなくて、正常な状態ではまず買わないような物まで少し目にとまるだけで買っていました。医療費と買い物代を併せると150万円は超えていたのではないでしょうか。うつ病になってから「完治」という診断をされ、社会復帰をするまでには約3年の月日がかかりました。今では過去のことになりましたが、本当に辛い日々でした。
部屋に引きこもりネットショッピングを繰り返す。ゴミも溜まったが片付ける気力も湧かなかった
部屋に引きこもり、ネットサーフィンをして少しでも気になった物が有ればすぐに買ってしまい、1回も使わないまま部屋に放置するというお金の使い方と朝から晩までひたすら食べ物を食べ続けるという生活を送っていました。
部屋は大量に買った物と食べかすやそのゴミで溢れ、正に絵に描いた様な「ゴミ屋敷」でした。片付けようと思ってもその気力もないし、そんな自分が嫌になって気分が落ちるときもあれば、「関係ない」と開き直る時もありました。
実家暮らしだったため、そんな私を何とかしようと親も気にかけて何度も声をかけてくれましたが、その度に私はヒステリックになり、物を投げたりして大声で怒っていました。何に怒っていたのかも分からない状態でした。
私は病院に行き、処方された薬を飲み、ひたすら自分の思うがままにストレスフリーな生活をしていました。
ストレスを溜めないことを意識して生活をした。自由に生きたことでうつ病を治せた
具体的な改善方法などがわからなかかったので、それが私にそうすることが私にとっての一番良い治療方法でした。医者からも「ストレスを感じない生活が大事ですよ」と言われていたので、そう言われたとおり思うがままに、自由に、気の向くままに好き勝手生活していました。
うつ病の治療薬というのは「太る副作用がある」と言われていたとおり、私の体重は服薬中に数十キロも増え、そこに食べたいだけ食べる生活をしていたので100キロ近くまで太ってしまっていました。しかし、おかげで自殺をすることが無く、治せました。
「ストレスフリーで自由に生きる」というのが最も良い方法だと思いました。
治療を続けたことで掃除する気力も戻り自ら片付け始めた
部屋に引きこもりながら好き勝手生活をしていき、何ヶ月も過ぎた頃にふと自分の部屋の汚さと鏡に映って丸々太った見にくい自分の姿が「嫌だ」と思いました。
医者に言われたとおりに好き勝手に自由な生活を送ってきたことと、薬の効果がちょうど現れてきたころだと思います。それが嫌で嫌で、それまで数ヶ月間何もせず放置してきた部屋を自ら掃除するようになりました。親を部屋に入れることすらしなかった私が自ら部屋の掃除を親に頼みました。
そこからの回復は右肩上がりで、過食の量も減っていき、買い物も徐々に落ち着いて行きました。ずっとストレスを感じながら仕事をしていた私が「ストレスフリー」になっっていった瞬間だったと思います。
無気力状態だったが徐々に物事への関心が出てきた。外出をするようになった。
うつ病という診断をされてからは暴飲暴食と爆買以外は「何もしたくない」「誰にも会いたくない」どこにも行ききたくない」という気持ちがずっと続いていました。
まさに無気力な状態でした。しかし、症状が少しずつ良くなっていくにつれて、その気持ちが「あそこに行ってみたい」「あんなことをしてみたい」など物事への関心が出てきました。
そして、それを達成するために数ヶ月引きこもっていた部屋から出て外出するようになっていきました。誰にも話しかけられないようにイヤホンをしながら生きたいところに行ったり、やりたいことを少しずつするようになっていきました。そして、気づけば外出することが何の抵抗も無く出来るようになっていきました。
うつ病発症時は家族とも上手くいかなかったが、回復につれて理解を得られるようになった
うつ病が一番酷いときには親や兄弟と何度も大げんかをしました。近所の人に心配されて家に警察が来たことも有るほどです。親も見捨てさえしなかったものの「いいかげんにしろ」と何度も何度も言われました。
しかし、私が部屋から出たり、掃除や家事をするようになったり、外出をするようになっていくにつれて、親も「無理しない程度にゆっくりね」と涙をながしながら言ってくれました。
私の症状を知っていた同僚の友人もお見舞いに来てくれて「以前よりだいぶ明るくなったし、良い顔になった」と言ってくれるようになりました。私は褒められてとても嬉しくなり、そんな身の回りの人達の言葉がまた私を元気づけ、症状はみるみるうちに回復していきました。
完治するまでに長期間かかるが必ず良くなる。自由な生活がうつ病改善の近道
うつ病は目に見えない心の病気だからこそ人に説明しづらいし、分かってもらいづらいです。しかし、担当医の言うことをしっかり聞いて、言われたとおりにしていくことで必ずうつ病は治ります。
風邪などと違って完治するまでに長期間かかりますが、間違いなく良くなります。無気力で、生きている意味が分からないと思うことは私もありましたし、そう思う気持ちもわかりますが、決して死んではいけません。
完治して、また好きなことを思いっきりするためにも死ぬという選択肢だけは絶対に取らずに治療に専念することです。具体的でなくてもいいので、私のようにストレスを感じないように自由気ままな生活をしていくことが一番最初の近道だと思います。
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