20代女性。近親の死がきっかけでうつ病に。つわりで2ヶ月間心を空っぽにしてうつ病が改善。徐々に笑うことができるように。

初めまして。「へーベルくん大好き」と申します。ヘーベルハウスに住んでいるわけではないのですが、あのキャラクターが好きですのでペンネームにさせていただきます。
キャラクターの名前は正しくはラムマサナガですが。よろしくお願いします。

現在26歳、女です。30を前に体力の衰えを感じています。
去年まで病院で助産師として働いておりましたが、ちょうど退職のタイミングで妊娠がわかり、現在は主婦をしています。

看護師、助産師の資格を使ってたまに派遣のアルバイトをしています。7月まで千葉県に住んでいましたが、夫の転勤に付き合って現在静岡県に住んでいます。
生まれが東北なので、東海地方の暑さに夏は驚きましたが冬は温暖な気候の恩恵を感じております。

就職したてで仕事に行きたくない時期に、近親の死がきっかけでうつ病に。

当時、実父のガンが発覚し、かなり進行している状況でした。
実家とは離れ、就職したてだったので、久しぶりに会いに行ったときには抗がん剤と併用して麻薬の投与がされており、もう意識もはっきりとしていませんでした。
職業柄、末期ガンの方などは見慣れていたのでショックは受けていないつもりでしたが、きっと実父がそうなったことに気づかず衝撃があったのだと思います。

ちょうど私も就職したてで、仕事のストレスもあったので、仕事中の時間もプライベートの時間も不安要素が渦巻いていて気が休まるときがありませんでした。
その後ほどなくして実父が亡くなったのですが、今度は祖母のガンが発覚、実父の死後5ヶ月後に亡くなってしまいました。

このころから仕事中にも急に涙が止まらなくなったり、集中力がなくなるといったことが起き出したので、色々重なってしまったことが原因だと思っています。
あと、最近思うのは、就職したてで仕事に行きたくない時期に、近親の死という「休職のきっかけ」ができたことに気持ちが傾いてしまったのだと思います。

丸2年、2週間に一度通院した。知り合いに会いたくなかったので家から遠い精神科を選んだ。

丸2年、2週間に一度の通院で、一回診察料と薬代で平均5000円分くらいです。ですから治療にかかったのは単純計算で24万円くらいです。
通院しながら仕事にも行っていたので、辛いときに薬をかなり強くしてもらったりもしていました。

そうすると結構薬代も高くなりましたが、休職をもらえたときに薬を弱くしたりしていたので、平均すると5000円くらいになりました。
あと知り合いに会いたくなかったので車で1時間の距離の精神科を選び、通院していました。

ガソリン代や有料道路代が他にもいくらかかかりましたが細かいので省略します。
鬱になってからの2年間のうち、1年半ほどは働きましたが間で2回、3ヶ月の休職をはさみ、その後退職したのですが、鬱と付き合いながら働くのはしんどーーーーくて長くて人生で一番長い日々に感じました。

うつ病の初期症状は倦怠感と集中力の欠如。そして感情の起伏が激しくなった。

初めはかなりの倦怠感と、集中力の欠如から始まるました。
何も考えられなくなり、帰宅後倦怠感が強く、毎日2、3時間くらいずっと同じ場所に座りぼーっとしていたりしました。

新人でしたので、家でも勉強したりしなければならないのですが、教科書を開いてもずっと同じページを広げたまま数時間経っていたこともありました。
そして、「大丈夫?」など、たった一言かけられる言葉に急に涙が止まらなくなってしまったり。

悲しいのか自分が情けないのか、なんだかわからない気持ちが渦巻いて、心の中がマーブルチョコみたいな、ぐちゃぐちゃの状態でした。
職場ではうつ病になった新人に気を使われていましたが、勉強もろくにしてこないし、集中力もないしで煙たがられていた感じがしました。

内服薬にかなり気分を高揚させる効果の強いものを選んでいたときは、薬が効いてくると話が止まらなくなるときもありました。
友達からは何を言っても落ち込んでいて涙が止まらないときと、急にテンションが高くなり喋り続けるときの落差が怖かったと言われました。
でも友達も気を使って合わせていてくれたそうで、理解のある友達に話せたことにありがたさも感じましたが申し訳なかったなと思います。

社会不適合者になる気がして会社を辞めたくなかった。しかし会社を辞めた途端ストレスが激減。

まず一番のストレス源から離れることです。私の場合は仕事でした。
私の状況を見かねた職場から「人生は長いのだし、この仕事だけにこだわる必要もない」と言われました。

しかし仕事を頑張っているつもりでしたので、やめることは自分が社会不適合者になるような気がして、辞めるのを許さない自分がいました。
結局、クビに近いような形ではありましたが退職に。自分に落胆もしましたが、毎日のストレスはかなり減りました。

その後、オススメの方法などではないのですが、妊娠がわかり、ひどいつわりになりました。
一日中ベッドかトイレで嘔吐と戦っており、身体的に辛すぎて精神面まで気遣う余裕がない日が2ヶ月間続き、つわりが軽快してきたときにはかなり鬱症状が改善されていました。
言い方を変えると、2ヶ月間心を空っぽにしていたような状態でしたので、それくらいでないとなかなか鬱は良くならないのだと思います。

うつ病が改善されることで暗い考えから脱出。徐々に笑うことができるようになった。

徐々に鬱症状が改善されることで、暗い考えから自分で脱出できるようになりました。
「どうしてこんな状況になったんだろう」「どの時点で間違ったかな」と出口の無いネガティヴなことをずーっとぐるぐるぐるぐる考えていました。

「そんなことを考えていても何にもならない」とわかっていても、抜け出せなかったです。むしろ自分はそういう暗い思考の中にいるべきなんだ、と感じていたというか。

暗い雰囲気を断ち切るには、ある程度心の元気さが必要なのだと思いました。うつ病の改善に伴い、考えるのを辞める、諦めることができるようになりました。
徐々に笑うことができるようになり、今まで周りを見ている余裕もなかったのですが人に会ったり、優しくしてあげられるようになりました。

自分にある程度、余裕がないと人には優しくできないんだなと感じた。

鬱症状が改善していくにつれ、今まで見えていなかった周りへの関心が増え、相手を気遣ったりできるようになったので、周りから「安心した」「戻ってきたね」と言われるようになりました。
もう職場などは離れていたので、周りにいてくれたのは私を理解してくれている友達だけでしたので、とてもあたたかい対応をしてもらえました。

鬱のときには仕事の話など、気を遣って避けてくれていた会話の内容もあったようで、だんだんと愚痴のようなものも言ってきてくれるようになりました。
そこまできて、自分がどんな状況で、周りにどれだけ心配、迷惑をかけたかなどに気づきました。

自分にある程度、余裕がないと人には優しくできないんだなと人生で感じたときでした。

嫌なこと、怖いことはそのままでいい。自分は頑張った、よくここにいたなと深呼吸して逃げていい。

私は「辛かった時期もあったけど、乗り越えて今は楽しい」だとか結果ポジティブなことにならなければいけない風潮が嫌いです。
嫌な時期は嫌なままです。嫌なこと、怖いことはそのままでいいんです。

忘れることは難しいので、そのまま心の隅っこに置いて別のことに意識を向けていくようにします。
だましだまし、他のことも考えていくように自分で無理やり仕向けます。人間の記憶はありがたいもので、だんだん古いことの脳内での割合が減っていくみたいです。

うつ病になる人は皆さん、数え切れないくらい自問自答したり、ストレスを感じたシーンの再生を繰り返していると思います。
人が考える何倍、何十倍も脳内で自分を責めているんではないでしょうか。

今あなたがストレスに感じている場所は、あなたがいなくてはいけない場所では無いのです。
学生時代のいじめは辛く感じましたが、社会に出てみると世界が狭かったなとわかったりします。

そういうもので、しがみつきたかったり、残念に感じるかもしれませんが、そこにい続けることには客観的に見るとほとんど意味はないことなのです。
あなたに合う場所なんて見つけなくていいので、まずそこから逃げていいのです。自分は頑張った、よくここにいたなと深呼吸して逃げましょう。