ペンネーム:N
年齢:43
性別:男
職業:自営業
お住まい:大阪府
父の自死をキッカケに心を失調し、うつ病と診断を受けた。
不況だった頃、父が大手企業の上役だったのにも関わらずリストラされ、その敗北感(?)から自死しました。
周囲を考慮して「心臓発作」と知らされていましたが、病院で首を吊った後の父、首は縄でうっ血し、顔も膨れ、口から舌が飛び出ている(一応人工呼吸器はつけられていましたが、発見が遅くもう脳死状態でもありました)姿を目の当たりにして、心を失調させてしまいました。
警察官は「間違いありませんね」と見たくなかった姿を検視させられ、さらに自死する前日、ちょっと様子が変だったのですが、気づくことができず(いや、心の中では死んじゃえという自分もいました)その葛藤と後悔から次第に心の状態がどんどん悪くなっていき「うつ病」診断されました。
うつ病が治るまでに10年かかった。薬の費用が高額で、完治までに100万以上は費やした。
約10年かかりました。補助金の精度もあるようですが、万一、まだまだ差別のひどいこの社会でバレたら、もっと悪くなると思い、保険証のみ使いました。100万円以上は費やしたと思います。
途中、うつ病から躁うつ病に変わってしまい、治療が長引きました。また自分に合うクスリがなかなかみつからず、それにもかなり時間を費やしました。うつ病の治療で1番時間がかかるのは、このクスリ探しのような気がします。
診察で約2000円、クスリ代で約1万円というときもありました。これを4週間サイクルで繰り返すのです。いろいろな助成制度を使えば診察250円(当時のお話です)とかにできていたようなので、財政が厳しい場合は役所へ相談がいいと思います。
息をするのも「めんどくさい」と思うほど、すべてがどうでもいい状態だった。
やる気のまったくないゾンビ状態でした。息をするのも「めんどくさい」と思うほど、すべてがどうでもいい状態でした。そしてたまにちょっとだけやる気というか、動けるような気力が出たときは自分の「自死」についてばかり、頭のなかでグルグル考える状態です。
早くうつ病から脱出して「元に戻ろう」との考えは、まったく起きませんでした。とにかく「ポジティブ」という考え方すら忘れてしまったような感じです。
幸い身内の努力もあり、また、助成制度など使わなかったため、集合住宅ですが、周りからはとくに変な目でみられるとか、差別されるとかはありませんでした。「心臓が悪くて養生している」というニセ情報で、最後まで「うつ病」はカミングアウトできませんでした。
合わないクスリはぜんぜん役立たなかった。ポジティブに考えるように努めていた。
やはり病院からのクスリをきっちり飲んで、自分はうつ病のダメ人間に決まってるなど考えず、うつ病「ごっこ」を楽しんでいる、という程度に自分に言い聞かせることでしょうか。
合わないクスリはぜんぜん役立ちませんし、それを医師へ伝えても「怒られる」なんてこと、ありませんから割りきりも役立ちました。
また、先ほどのように「今、うつ病ごっこ」して遊んでいるんだぞー、と考え、難しいのですがなんでも出来事をポジティブにとらえるのが、いいです。
逆に通院していたら、それ以外のクスリは飲んでも効果がないどころか、なかにはネガティブさをより強めるものもあるのでお勧めできません。長い人生、こんなときもあるよ、とポジティブに考える逆拷問(?)は、わたしには有効でした
「倦怠感」「やる気のなさ」「自死願望」が出てきて寝たきりになった
わたしの場合は、いきなりうつ病の症状がドーンと来るのではなく、普通→谷族→普通にとの家庭をたどりました。
最初は父の分までがんばろうとか精神力(?)の備蓄があるようでしたが、それが切れてどんどん「倦怠感」「やる気のなさ」「自死願望」が出てきて、谷底へいきました。寝た切りの状態がつづき、それでも最低限の内職はしていましたが、「どうやって死のうかな」ばかり考えていました。これがひどくなったときはちょっとだけ睡眠薬(同時に処方されると思います)を多めに飲んで、寝逃げに走っていました。それしか手はないと思います。
クスリのチョイスをしていき、ようやく「ん?」と思える(気が少し楽になる)と出会い、ひたすらつづけました。するとたまには明るいことや、夢など考えられる程度にまでになってきました。
徐々に「生きてようと死んで用とどーでもいいや」と心境が変化した
父の自死というトラウマ的なスタートをした、うつ病でしたがまず、起きていられる時間が増えてきます。食事も食べず2日間寝てたときもありましたから。
内面ではやはり、何かが起きてもそれをわずかに前向きに、とらえられるようになり、「上手に死ぬ方法」などネガティブにグルグル考えていた状態が減ってきます。
そして寝てるだけじゃなく、ちょっと部屋をかたずけ手みようとか、観葉植物の手入れをしようとか、「体を動かせるだけの気力」が、時間はかかりますが増えてきます。
もちろん、しょっちゅう谷底へまた落ちて「死にたい」状態になるのですが、その強さというか思いが減って来ます。「生きてようと死んで用とどーでもいいや」ともなり、変化しました。
人生は死ぬまでの暇つぶし」の真意がわかった気になった
わたしは周りとの接触をあまりしていなかったのですが、医師には「自分自身のことを良くも悪くも話すようになった」と指摘されました。そうです。なんだか「話したいなー」という気分になってくるのです。でも完治していなければ、それが「自死の仕方」だったりもしますが、話したり動いたり「行動的になった」と評価されました。
また、そう言われることで、「もしかしたら自分は死ななくてもいいのかもしれない」など、とにかく「死」の見方が変わってきます。感情的には「そんなものなのかなぁ」程度ですが、悪い気はしませんでした。
また「うつ病ごっこ」が「人生ごっこ」に変わり、有名な言葉「人生は死ぬまでの暇つぶし」の真意がわかった気になりました。
うつ病の完治には不治の病と思わないことが重要。必ずうつ病は「退治」できる
今、わたしはこんなライティング作業もやっています。このくらい「焦らなければ」うつ病は改善させられます。また、医師やカウンセラーさんに気づかう必要はありません。
むりに合わないクスリをつづけさせようとされたり、生理的に合わないなど、そんなときはすぐ転院しましょう。医師は「タウンページ」をみればたくさん居ますので。
良い医師との出会い、クスリとの出会い、最後に自分では「人生ばんじ塞翁が馬(どーにでもなるもの)」や「今はうつ病ごっこして遊んでる」くらいに考えて、不治の病と思わないことが重要だと思っています。
ちょっとだけ時間とお金と手間暇が、風邪よりはかかる程度です。わたしはPTSDも発症してましたが「うつ病、クリア」できました。つらい死にたい消えたいは当たり前に思えてしまいますが、必ずうつ病は「退治」できます。あきらめないで!
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