40代男性。過度な労働や身体的負担が原因でうつ病を発症。長く生きていけば希望はある。

ニックネーム:せい
年齢:40歳
性別:男性
職業:パソコン事務
お住い:熊本県

専門学校時代の過度な労働や追い込みが原因でうつ病を発症。

専門学校時代に剣道と新聞配達の3つのわらじをふんでいて新聞配達で朝が3時から出勤とかで夜も12時に寝ていたのでなかなか起きることができず、不眠症になり、さらに幻聴が聞こえてきたのでそういうことが原因だったと考えられます。

朝の時間帯に弱くこのペースならアルバイトを避けておいたほうが良かったと思うんです。あまり朝が早いのに夜遅く剣道をするものじゃなかったです。

朝の3時にこないと電話があり無理やり起こされて3時過ぎに出勤すると眠気がさして寒い中、原付で多い団地を新聞配達したことを覚えています。

なんでも都合よくできなかったことにしかたないと思うしか方法がなかったと思うんです。友達がバイトをしていると気になってバイトをしないと仲間に入れてくれないとか悩んでいたんですが、そんなことが原因ではじめたバイトが命取りでした。

1ヶ月に4,000円くらいの治療費。完全に改善するには20年くらいかかる

時間帯は3年くらいでした。金額は1ヶ月に4000円くらいの診察代や薬代だったと思います。

しかしそのあと職務中に体調が悪くなることも多く今までに3回の再発も経験しています。30代の時間は作業所止まりで正規就労がなく障害者手帳なども2級でした。

 

12年経って最近障害者手帳も3級になり障害者の就労じゃなくて一般の就労でもいいと勧められている今最中です。薬代は4000円代と前の病院などともあまりかわらず、訪問等も受けているのでそろそろ体調がいい状態になる頃だと言われています。

再発を繰り返すと再起が長い間難しいといわれていたので最近、また薬の減薬が始まり、うつの改善までもう少しとせまってきたので完全に改善するには20年くらいかかると思います。

幻聴や気分が悪かったりした。周りに自分の性格を話すタイプではなかった。

身体がもぞもぞしたり、気分が悪かったり、幻聴が気になったりなどが主にありました。幻聴といわれてもそうだと認識するには相当時間がかかったので幻聴に慣れるのも時間がかかりました。

周りからの評価はいたって無名であまり知っている人がいなかったと思います。目立つ存在でもなかったので仕事をするまでは無名時代が続いて誰が病気だとかそんな話にはなりませんでした。

牧場でアルバイトしているときもどちらかというと僕のことは隠すというおじさんや父の影響もあり、周りの人とは話もできませんでした。

その当時は病気を隠したほうがいいと勧められていたのでそうするしか方法がなかったのだと思います。時代が古いときはうつは隠すという傾向があり田舎育ちだったので特にそういった傾向は強かったです。

ゲームは剣道に打ち込むことでリフレッシュできた。犬の散歩もおすすめ

ゲームをするということと剣道に打ち込むことがメインだったと思います。趣味は多彩でしたので割りとそういった面では役に立ったと思うんです。

ゲームはドラクエをしていました。ゲームにはまると時間を忘れていた気がします。そのほかは剣道に打ち込むことで剣道場行くことでした。僕は当時三段でしたので四段に23歳で合格したのでそんな大きな影響や人間関係などに役に立ちました。

 

最終的には五段を28歳のときに合格しました。さらに犬の散歩も役に立ちました。犬は相性とかがあって普通に散歩するよりは愛犬がいたほうが楽しい散歩になるみたいです。

身体に負担が少なくするには小型犬がおすすめです。散歩は一人ですると苦痛であまりいいとは言えません。しかし愛犬などと散歩すると目標なども明確になりよりよい散歩になるんです。

価値観が増え、周りの良いところを盗み取るクセがついた

精神的には大人な考えが増えたと思います。病気を意識して育ち、薬や投薬をしっかりしています。テレビもあまり見なくなりました。

お笑い番組とかが面白くなくなったり、政治に興味をもったり、ドラマの裏側のほうが楽しかったり、表と裏を交錯するのが好きになりました。

さらに仕事ばかりがすべてじゃないと思うようになり、価値観が増え、自分を追い詰めるよりは丸くまとめたりするのが好きになりました。人の否定を特に嫌いになり、人のいいところを盗み取るというスタイルになりました。

 

テレビもどちらがというとドラマが漫画見たいに見えるようになってイマイチドラマって感じじゃなくなりました。

少し年齢が幼い傾向に見えるようになり、医学にも興味を持つようにもなりました。精神科の勉強もするようになり自分がどんな病気で保障されていることなどを考える時間がありました。

仕事柄、コミュニケーションを図る機会は増えた。。買物などに興味を持つようになった。

仕事でJAにはいることになって近辺の周りの人間を覚える機会が増えました。山鹿市の自分の地区の人の名前などを把握したり、いろんな人に知名度ができました。JAの経済係は地元貢献型の事業で特に農業の人の顔や付き合いなどでいろんな人と会話をすることがあり、履歴も250件くらい携帯に登録していました。

 

現在は知名度が上がりすぎたので地元にいるとかえって気疲れしそうなので地元を離れて熊本市で人生のやり直しをはかっているところです。お酒のない付き合いとかいろんな係りや接待の精神科の職員などと話し合ってどうにか人生を生きています。

お酒の付き合いもこなくなり現在は昔に戻りたくないようになり、知名度は少ないけど熊本市が僕のいきがいでまあまあだと思って生きています。買物などに興味を持つようになり、洋服も増えました。

人生はいつでもやりなおしは可能。自分だけで悩まず医療関係者に相談してみることがおすすめ

うつというのは時間がかかる病気だししかたないんです。うつの時間もいろんな人とお話の機会や妄想がとれるのに時間がかかりますが、しかたないことだと思っています。しかし妄想は時間と共に減っていきかならずいい結果を自分にもたらしてくれます。

結果が悪くても死んだりしないなら大丈夫です。人生はいつでもやりなおしは可能です。自殺はさけるのが難しくてどうしてもさけてほしいのが本音です。自殺は何の解決にもなりませんし、生きていてこそ解決の糸口が見つかるのではないかと思うんです。

長く生きた分その分はまだ希望があるんです。

 

うつや双極性障害のかたはリストカットや自殺率がおおいのでできればそんな時いい相談相手が必要です。カウンセラーにまかせるもありと思います。

自分だけではどうにもならないときは医療関係者に相談してみましょう。そして医療関係者の裏はあまり考えないほうがいいです。

むこうは仕事上の付き合いしかできないので転移など特殊な心を持つものじゃないんです。だから他の患者さんなどとの付き合いも少し必要になってきます。あせらずゆっくり考えていきましょう。